ひとり日和

ひとり日和 (河出文庫)

ひとり日和 (河出文庫)

今更ながら、五年前の芥川賞受賞作となった青山七恵さんの『ひとり日和』を読んだ。



実家を離れ、東京に住むことになった「わたし」は、

遠縁のお婆さんと、二人だけの生活をはじめる。

それ以前、「わたし」とお婆さんには面識が無く、

二人の生活は微妙な距離感でスタートする。




日常の場面を切り取り訥訥と進行するストーリーは、

読んでいて、せつない。

それは「わたし」に、若者が持つと思われる情熱がないからだし、

端的に言えば「わたし」の生活がスローだからだ。


「わたし」たちの住む家の、目と鼻の先には駅のホームがある。

その駅や走り行く電車は、時たま、

“社会=外の世界”を具現するものとして登場する。

家にいると、電車の音やアナウンスの声が絶え間なく聞こえてくる。
快速や特急が通るたびにガラス戸ががたがた揺れるが、もう慣れた。
フリーターと老人の家にはこれくらい喧騒があったほうがいい。

上の引用はまさしく、そんなような場面である。

「わたし」は社会の振動を感じ取ろうとしない。

それが目の前に存在するにも拘らず。

外界に対して耳を傾けることに、もはや何の価値も見出せなくなっている。

それどころか、それらは耳障りな喧騒でしかない。


そういうのって、スローだな、と思う。

この「遅さ」は、なんだかすごく哀しい。